初めてのサルサダンス体験
人生初のサルサダンスを体験。直後にサルサダンスのバーに行き、ダンスがコミュニケーションの手段として機能することを実際に体感。言葉を超えた表現とつながりの可能性を発見する貴重な機会となった。
生まれてから現在まで、重要なマイルストーンと体験を
時系列で詳しくご紹介します。
人生初のサルサダンスを体験。直後にサルサダンスのバーに行き、ダンスがコミュニケーションの手段として機能することを実際に体感。言葉を超えた表現とつながりの可能性を発見する貴重な機会となった。
ホリエモンAI学校のプロモーションとして、令和ロマンの松井ケムリさんと堀江貴文さんが出演する新しいタクシーCMを全国の『GO』タクシー車両内で配信開始。脚本もすべてAIで作成。
堀江貴文Special Program「ホリスペ!」にて『AIネイティブ世代はどうなる⁉』をテーマに出演。AIの活用方法やホリエモンAI学校の取り組みについてラジオで語る。
株式会社Nonomen Legendとの共同事業として、著名人のAIキャラクターを半自動運用する次世代芸能事務所「ホリエモンAIキャラクター事務所」を設立。第一弾として「ホリエニャン」「ホリエペン」「ゆるえもん」が所属。
17歳起業家・野田慶多氏が代表を務める株式会社EbuActionから事業買収(M&A)を実施。キーボードを使うだけでポイントが貯まる着せ替えポイ活キーボードアプリ「ポイタップ」をAppStoreでリリース。日常のスマホ利用でポイントが貯まる新しいポイ活の形を提案。
自身がエンジェル投資家として投資していた企業が初めてEXIT(M&A)を達成。投資家としての新たなマイルストーンを迎え、スタートアップエコシステムにおける貢献を実現。
トラックボール搭載の分割キーボード「KeyBall44」の使用を開始。2018年から愛用していたLet's Split(レツプリ)から卒業し、2個目の分割キーボードへ。腕を動かす必要がなくなり、より快適な作業環境を実現。
技術評論社より出版された『Stable Diffusion画像生成[本格]活用ガイド』の制作協力を担当。画像生成AIの実用的な活用方法について技術的なサポートを提供し、AI画像生成の普及に貢献。
堀江貴文氏がプロデュースする「AIを作るのではなく『使いこなす』AI活用スクール」の運営会社を設立し、取締役CTOとして就任。非エンジニア向けの生成AI教育事業を本格展開。法人・個人向けにAI人材育成と業務効率化を支援。
人気アニメ「推しの子」ドラマ・映画にエキストラとして出演。人生初のエキストラ体験となる。
ポイ活キーボードアプリ事業を展開するPoitap株式会社を設立し、代表取締役に就任。17歳起業家のアイデアを発展させ、日常的なデジタル行動に新たな価値を見出すサービスの開発を開始。
翔泳社より『ChatGPTと学ぶPython入門 「Python×AI」で誰でも最速でプログラミングを習得できる!』を出版。Amazonプログラミング入門書ランキングで1位を獲得。ChatGPTを活用した効率的なPython学習方法を提案。
英語塾「Grow Rich English School」を運営するきみとみらい株式会社の経営に参画。小学生から高校生を対象とした実用的な英語教育事業で、卒業生の70%が英検準2級を取得する実績を持つ教育事業への関与を開始。
幻冬舎より出版された『堀江貴文のChatGPT大全』の技術監修を担当。ChatGPTの活用方法について技術的な監修を行い、実用的なAI活用ガイドの制作に貢献。
堀江貴文氏のバーチャルヒューマン「ホリエモンAI」を開発。講演会や商品PRなどをAIが代行する新しいビジネスモデルの実験を開始。
ゼロからでも「推されるタレント」を目指せるTelemoライバー事務所設立。321.incと連携することで、ライブ配信ノウハウと先輩とのつながりを持ちつつ、熊澤の経験を生かした「推されるタレント」化と、継続的なタレント活動支援を実現。
初めて画像生成AIを用いて作品を制作。生成AIの可能性を肌で感じ、AI技術への興味と理解を深める重要な転機となる。後の生成AI関連事業展開の出発点。
人生初のきのこ狩りを体験。目が慣れないと全く見つからないのに、目が慣れるといきなりきのこを認識できる人体の短期学習の仕組みに感動。山を歩いて美味しいものを見つけて美味しいものを食べられる体験に感激。
「推し」という新しい生き方を応援するサービスをリリース。推しの負担を最小限に最高に濃い体験をファンに届けられる有料通話サービスです。ちなみにβ版。
ライン版を閉じて5ヶ月、完全リニューアルした個室特化の法人向け多拠点オフィスを提供開始しました。
個室オフィスに注力するために、オーブンスペースシェアサービスであるLINE版テレスペのサービスを終了。分単位で課金される従量課金の仕組みは好きだったけど、もっと喜んでくれる人の為にフルリニューアルしたサービスに本腰を入れる。
2020年2月17日に共同創業していた、街中で働ける「テレスペ」を運営する会社、テレワーク・テクノロジーズ株式会社にCTOとして正式Join。これからギア上げて快適な働き方を作ります。
いちから株式会社でゼロから立ち上げた新規事業である「アイドルグループSLEE」のMBOと共に、会社を去ることに。これからもSLEEの活躍・飛躍を願っています。
アイドルとしての初舞台、初めてのライブを実施。いつも身近で見すぎている僕らでさえ、当日はアイドルである彼女たちに圧倒された。企画・グッズ制作・楽曲用意・進行までライブ内企画以外を担当。
アイドルらしい歌・ダンスをファンに見せていなかったSLEEの初アイドル姿のお披露目MV。企画・衣装制作・撮影/編集監修まで楽曲以外を担当。
調達金額22,750,000円達成。応援してくれるファンを増やすべくクラウドファンディングを実施。2020年は2回のクラウドファンディングを実施するクラウドファンディングの年となった。
支援総額1,909,000円を達成!目標支援金額150万円にも関わらず、タレントたちの頑張りで大幅に目標を越えることに。企画・運営・グッズ制作・リターン対応まで担当。
久しぶりに自分のWebページを修正しました。Flutterで作ればWebも作れるので楽しい。
他拠点ワークスペース「テレスペ」をリリースしました。場所に縛られずに働きたい。
新規事業として準備していたアイドルグループのお披露目。オーディション前は普通の女の子だった彼女らのアイドルとして振る舞う姿には胸を熱くさせられた。コンセプト・戦略をサブで担当。ロゴ・Web制作のクリエイティブ、オーディションをメインで担当。
働き方を多様化させて、前向きに仕事ができる世界を作りたくて、スペースシェア領域ガンガン攻めていた荒木さんたちと会社を創業。
オタク文化にどっぷり浸かる為、秋葉原の民になる。プロダクトを作るときはどっぷり浸かって全力で考えたい。
VR上でも自分の姿で歩けるアバターを撮影してもらう。
始めてリアルでもTwitterでも知らない、VRChatで初めてあった人と友達になった。VR内でボドゲを触ったけど素の姿じゃないから子供のように楽しみやすい。友達って良い。。
エンジニア採用は社内で手伝うだけだったので新しい挑戦。業務委託。
VTuber事務所を持つXR分野を攻めるいちから株式会社に入社。新規事業つくります。
技術サイド担当として運営メンバーに参加。トラブルはあったが、最高のキャストとメンバーのおかげで「めあくあちゃん」が誕生した、同時視聴者数4万以上の配信企画。
約4ヶ月で登録者数200人突破。Twitterフォロワー数650人超。ゲームつくる配信なども開始し活動の方向性が定まってきた。
遂にチャンネル登録者数100人、Twitter300フォロー突破!動画編集技術やSNSの使い方を学びながら、動画を通じたコンテンツ提供の面白さに魅了された。流れのある内に色々掴んでおきたい。
遂にVtuber運営デビューを果たす。
初めてゲテモノを食べた。ヤモリ、カエル、ワーム、サソリとかとか。
初めて宿泊したairbnbオーナーがめっちゃ楽しい人で民泊の未来について話せたり、泊まるというコミュニケーションがとても新鮮だった。
VRの発展を待てず、物理移動の少ない場所に引越し。喧騒のギャップを感じるから出社が憂鬱になる人がいると思っているので、ギャップゼロだとどうなるのか実験中。
初コラボがまさかの証券会社。結構フランクで楽しく収録してきた!株のガチ勢と話す株の話 with マネックス証券
cronoがリリースされたので書き込んでみた。これからが楽しみ。
Voicy社長より誘っていただき、VoicyのAndroidアプリ開発を手伝い始める。
AbemaTV出演がYahoo!ニュースに。ナメきった顔が全世界に発信されたが案外みんな見ていない。
お笑いコンビ「シャーリーテンプル」としてAbemaTVデビュー。日村がゆくという番組でバナナマン日村さんとまさかの共演。番組タイトルは「M1ナメてるグランプリ」。
地元から離れ子どもと触れ合う機会も減っていたので、初心に帰って子どもたちの成長や可能性に触れる機会を増やすことに。画面の中だけではなく、ロボットやドローンを操作する直感的な教材も使い、子どもたちの夢中を活かした仕組みで自分も楽しんでいた。
Jカップのグラビアアイドル結城ちかとコンビを組みM-1に参戦。普段自分がやらないことをやるチャンスだと思い参戦したが一回戦敗退。芸人の本気を肌で感じる最高の機会だった。
Voicyの世界観が楽しくなりすぎて、Voicy初仮想通貨チャンネルのパーソナリティになる。
仮想通貨が世界を最高できる手段且つ、多くの人の価値観を変化させることができる最高のコンテンツであると思い、一年くらいうずうずした結果Joinすることに。当時11名。
オンラインサロンなど一人のカリスマに人が集まるコミュニティに魅力を感じ、それをミニマムで体験できるところを探していた。そしてオタクがお金を出してライブを一緒に盛り上げてアイドルの価値をあげている空間を作れるアイドルビジネスに魅力を感じた。
自社サービスを作りたくて仕方なくなり、個人で作っていた仮想通貨系サービスを閉じて新しい会社に行くことを決意。
初めてのキックボクシングの試合。人を全力で殴る経験を初めてする。人を殴ることへの抵抗が大きく、未熟さを痛感する。本気の闘いの場で自分が本当に闘えるのか悩んだ一試合だった。
初めてのハッカソン出場で最優秀賞獲得。プロジェクトマネージャ兼企画兼エンジニア兼雑用の立ち位置でチームメンバーの協力のもと二つのAIを組み合わせたAI対話系ニュースメディアのデモを発表した。
打撃が出来ずに格闘家を名乗るのは如何なものかと打撃を学び始める。クラウドファンディングで始まったファイトクラブ428に通い始める。
痴漢撃退ではない「痴漢抑止」のアプリリリース。痴漢が生まれない世界に、誰もが周りを気にして少し行動ができる世界にしたい。そんな想いで作り上げました。チョットデキル株式会社初サービス。
友人と「人にやさしいIT」を提供していく会社「チョットデキル株式会社」を設立。副業規定が定かではなかった為、株主として籍を置き、サービス開発を共に行う。
ここからアプリ開発を某キャリアの5次受けから評価側まで色々体験する。WindowsPhone開発をしたのはこの時。
卒業しました。学生特権が使えなくなって少しさみしかった。研究室ではAIの一つ、群知能について研究を行なっていたが、AIではなくアプリ開発の道を選ぶ。
歩兵としての強さだけで満足できるのか。と友人に問われ、更なる上を目指すには戦車の強さを体感すべきとドイツまで戦車操縦体験にいった。車を潰す体験をしたが、戦車の強靭さと力強さの前には車など無力なのだと痛感した。
初のAndroidアプリリリース。幼児教育の為のアプリで大磯町柔道協会の子ども達に協力してもらい作成した。新卒で入る会社の研修作品として提出してしまった為、会社名義でのリリースになってしまった。悲しい。
この日、初めて仮想通貨を手に入れた。これがなかったら仮想通貨にこんなにも夢中になっていなかったかもしれない。ある意味運命の出会い。
現在のアカウントを始めた日。他アカウントは自分の趣味や思考によって使い分けていたので、全面的に自分として発言しているアカウントは初めて。ここから繋がる関係もあったのでTwitter大事。
人が成長するのは夢中な時で、人を動かすのは楽しさだと考え、ゲーム企画を学びゲームの夢中になる仕組みを探し始めた。ファミスタの父「岸本 好弘」先生に直接連絡し教えを受けた。
初の国際大会出場。しかし、初めての国際大会は周りのその圧倒的な強さへの執着と命を賭けた重みに耐えきれず一回戦敗退。「本気」の意味を身を以て知った瞬間だった。
セキュリティ系ベンチャー「ハミングヘッズ」にてエンジニアとしてアルバイト。
掴めば最強を自負していたが、遠距離からの敵にどう対抗するか、その答えを持っていなかった僕は銃という可能性に縋った。あらゆる地形での立ち回りや人の心理を読み解きながらの闘いは柔道とは違う面白さを与えてくれた。
多分このくらいの時期。あの頃の強敵は東京で闘っていたにも関わらず3位。柔道より他のことに夢中になっていたとはいえ、悔しい結果だった。
最初の一週間は大学という場所が楽しすぎて人と話すこともせず大学を堪能。その後話す人がいないことに気付き人と会話を始める。
工業機器が自由に使える環境が無くなることを惜しみながらも新しい場所へのワクワクでいっぱいだった。
ロボットに興味を持っていたが、世の中を幸せにするスピードとコスパを考慮した上でプログラミングによるサービス作成の最高さに気付く。ここからプログラミング中心のサービス制作を始める。
子供が跨って乗って操縦できる電車を作る。モーター以外はタイヤ含めて全部自作。僕ら卒業後も5年以上活躍した。文化祭では圧倒的人気コンテンツとなった。
身内で遊ぶネタとしてクソゲーを作りまくる。作る過程を見せる楽しさを学ぶ。(ソースはコピペの改変がメイン)公開しないから著作権違反しまくりゲームを作れた楽しい経験。
地元の道場で子どもたちに柔道を教える先生のサポートを始める。すぐに指導員として練習メニューやモチベコントロール的なことを行い子どもたちが楽しく学べる環境を作っていた。
今までも物を壊したり組み立てるのは好きだったが、半田ごてなどを使った技術の授業にものつくりを仕事にしたいと考え始める。誰かが喜ぶものを作ることに快感を覚え、その道に進もうと思った瞬間だった。
ものつくりで生きていきたかったので工業高校に入る。
中学校卒業した。
プログラミング頑張ろうとしたけどいきなりC言語での3Dゲームは難しく、とりあえずゲームツクール的なものでゲームを作り始める。
初めてそれっぽい成績を残す。気付いたらあの時闘ってたメンバーはオリンピック優勝を成し遂げているのでめちゃくちゃ劣等感を感じた。命を賭けて闘う人は強い。
小学生時代に熊澤なのに能澤・態澤と間違えられすぎて灬不要説を思いつく。ペンネーム的なものが欲しくなり当時ハマっていたパワプロで名前を読んでもらえる且つ、小学生時代に思いついた「能」を使う名前ということで「能見」→「Noumi」とネット上で使う名前が誕生した。
画用紙で電車のおもちゃをつくった。電車好きのおじさんが大好きで遊んでもらうお礼にと頑張った。今思えばガラクタレベルなのだけど、5年後高校生になってから伺った時もいろんな子に遊んでもらって壊れていたものの大事に保管されていて嬉しさに震えた。
大げさに書いたけど、花粉を集めて一定量以上飲ませると花粉症が発症するのではないかとの仮説を検証するために実施。20人くらいのメンバーに仕事を振りながら全力で作成した。これを飲んでから見事花粉症になった。放課後勝手にやっていたのでメンバーのモチベ維持の難しさを体感。
これが闘いの人生が始まった第一歩。ここから全てが始まった感がある。
今まで触らせて貰えなかったものを触らせてもらえてはしゃぐ。今思えば僕の筋力は農作業で培われている。
危ないものも小さくて力のない頃なら危険も小さいという親の考えから色々与えてもらう。竹を切り倒して水鉄砲を作ったり、パソコンで遊び始めたのはこの頃。
ある男の子が好きだった女の子と仲良くしている為にいじめられた。そしてその女の子に助けられてそれを目の当たりにした男の子が・・(ry 守られる側じゃなくて守る側になりたいと感じた出来事だった。多分。
人生の始まり。